phoka

11.

2021. 12. 29.

いつもの漁港を越えてあの浜まで行く時に、ひょいひょいと渡る岩達。普段は「どの岩を選んでどれだけ軽やかに行けるか」ということ集中していて、その岩達自体に気を払うことはほとんどしてこなかった。払ったとしても、ぐらつくか・ぐらつかないか/滑るか・滑らないか、ということぐらいである。(でもこれはこれでとても重要)

先日漂流物を拾いに行ったその帰り、ふと立ち止まって岩肌を見つめてみたら、なんてこと、こんなに面白かったとは。こんなに美しかったとは!

その時何が起きたのだろう、なぜ隣同士なのにこんなに表情が違うのだろう、この層が積もったのはいつの時代だろう。ほんのすこし眺めるだけでもこの岩達の過ごしてきた悠久なる生命に想いを馳せずにはいられない。

この日はもう日が陰って肌寒かったので写真をぱしゃぱしゃ撮ることしかできなかったけど、晴れて暖かな干潮の時にまた行ってゆっくり岩肌観察をしよう。あの浜に行く新しい楽しみができて嬉しい。

足元に目を向けたらそこにはギフト。これもまた宇宙の方程式のひとつかもしれない。

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Práctica 01.

2021. 12. 24.

明日から天気は荒れるらしい。

穏やかな海を散策するのは今年最後になるであろう。

やさしい波音と暖かな日差し、風は冷たい。

水平線の上の雲に陽が隠れるまでのほんのすこしの時間、浜辺を歩きちゃらちゃらとなる貝殻の音に耳を楽しませた。

足元に転がる漂流物をいくつか鞄に。

漁港のおじさんとみじかい世間話をして、沈んでゆく陽のやわらかな色に心を委ねてみた。

12月24日夕刻。

漂流物たちを並べてハルモニウムを弾きました。

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謹賀新年

2020.01.01

あけましておめでとうございます。

激動の2020年が駆け足で去ってゆきましたね。

みなさまにとってどんな1年だったでしょうか。

私のこの1年はいろんな感情と出逢えた1年でした。

あの春から、さらなる一歩を踏み出すべく計画していた様々な挑戦がはじまるはずでした。しかし、その全てが中止になり、もちろんその後もライブはなかなかできず、いきなり電源を引っこ抜かれたような強制リセット。

冬を迎えたある日、はっと気がつきました。

ああ、私悲しかったんだな。と。

どんな世界になろうとも、私は私としてこの場所でこの身体と共に淡々と繰り返される日々に当たり前のように生きていて。そのなかで、悲しみは人知れず息をひそめここにいたんだな、と。

それに気づけて、なんだか安心しました。もしかしたら、悲しみが「やっと見つけてくれた」と喜んだのかもしれません。

春にはじめたホカラジオ、夏に配信した”なまうた”、秋に参加させていただいた4つのライブ、冬に開いた”冬歌”。

その活動を通して、今まで味わったことのないたくさんの喜びにも出逢いました。

今だから、今でしか、知り得なかったこと。迷い、悲しみ、喜び、落胆、希望・・・・それらは、これからの道の上で必要なかけがいのない”源”になるのだな、と確信しています。

こうして感じられるのも、活動を支え協力してくれた仲間たち、お心を寄せてくれ応援してくれたみなさまのおかげです。

本当にありがとうございました○

2021年、私の心はわくわくしています。2020年に受け取ったたくさんのギフトを、表現を通してお届けできるよう努めて参ります。

さー、どんなことをしようか。なにができるかな。
みなさまと共有できる日を心から楽しみにしています。

あなたもわたしも、ひとりひとりが希望の光源です。
そのことをどうか忘れないでください。

みなさまが健康で、小さな幸せにたくさん出逢える豊かな1年になりますように。

今年も宜しくお願いいたします。

今この瞬間もcovid-19と向き合い続けてくださっている全ての方へ感謝と尊敬を込めて。

2021年1月1日 phoka

photo by Tatsumi Ikarashi

10.

2020.07.15.

09.

2020. 07. 11.

前を向く。
それは少し怖い。
このままここで、布団にくるまって。
じっとしている方がどれだけ楽か。
それでもひとは前を向く。
それは命がそうさせる。
この頼りない足取りで、また、進む。

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08.

2020.05.02.

この家に来て初めて火を焚いた。

焚き火の匂いは、記憶の宝箱。
メキシコの森、祭りの暮らし、何気ない日々の中。
青春の思い出はいつも、この燻された匂いに包まれている。

北メキシコの荒野で24歳の誕生日を迎えた時も火を焚いていた。
じっと黙って、ただただ火を見つめ朝を待った。
その時火から教わったことが、今夜はふわりと香った。

火を焚く行為を失ってはいけない。
なぜなら、火は祖父であるからだ。
これは自論だけれど、確信している。

太古の祖先と同じ行為をし、大いなる智慧に心をゆだね、熾火のきらめきに宇宙を想う。

火を焚くことは、尊い。

07.

2020. 03 29.

夜、夜よ。

行かないで。

夜。

もう少しだけここにいて。

静かなる夜よ。

あとほんの一時、世界から私をかくまって。

親愛なる夜よ。

どうか……

06.

2020. 01. 09.

霰の命
手のひらの無常
移ろいゆくのは
この世の常

儚さを守りすぎると、ときに吐き気がする。

05.

2019. 12. 13.

あんまりにも空が冬を忘れさせて気持ちが良いものだから、私はみかんの山のどんつきから麓まで駆け下りた。
下り道だから、足袋をはいた私の足は、ころころと勝手にまわった。
鼻先が切り裂いた風は、頰を伝い耳にざわめき、片側に結んだ三つ編みは、馬のしっぽのように跳ねた。
後から軽トラックでくる友人に追いつかれないように、もっとはやく、もっと、もっと!
ぐねぐねのみかん道をどんどん駆け下りて、あっというまに山の入り口についた。
勝負あり!私の勝ち!
ひざに両手をついてはあはあと息を乱しながら見上げたみかん山は、青空にとても可愛らしかった。
しばらくしてやっと追いついたと思った友人は、私がまさか走って降りてったとは知らず、いないいないと探してくれていたらしい。
ごめんね、と言いながら助手席に乗り込んで、お昼ご飯を食べに一緒に家に戻った。
今日はそれがとても楽しかった。

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04.

2019. 10. 26.

”嘘ついて本当のこと歌うのさ”

これは私が書いたエスペルという歌の詩の一部。
この言葉が出てきた時、自分自身何を言っているんだろうと思っていたけれど、あとからじわじわとわかってきた気がする。
そういうことは、生きているとたくさん起こる。当たり前だと思って受けていた施しは何年も経ってそれは当たり前じゃなかったんだと気がついたり、失敗や挫折をしたことで過去に受けた忠告に「そういうことだったのかあ」とやっと理解ができたり。
昔父親があるアイドルグループを見て「全員同じにしか見えない」と言ったことに対して「信じられない」と思っていたのに、今やすっかり同じ現象が私にも起きていたりもする。

30代に入ってから、こういう風に感じることがすごく増えた。
ついこのあいだまで20代だったくせになんとも偉そうだけれど、20代の自分を俯瞰して見られるようにもなった。しかも、それは、まるで他の誰かを見ているかのように。
それはどういうことかというと、悩みもがき苦しんでだりしていた20代の自分に「そうだね、がんばったね」と声をかけれるようになったのだ。
あんなにもいやでいやで仕方がなかった過去の自分が、理解できたうえに優しくなれるなんて。まあ、思い出して恥ずかしくなることも反省することも山のようにあるのだけど。年を重ねるっておもしろいなあ。と、生まれて初めてそう思えた。

できるなら優しい人で在りたい。すべての人には難しいけど、せめて近くにいてくれる人たちにはそうでありたい。そのために、もっといろんな経験をしたり、いろんな気持ちになったりしてみたい。つらいことや悲しいことも、いつか誰かの心に寄り添えるようになれるためなのなら、経験しがいがある。そしてその誰かと一緒に微笑んで暮らせたら、幸せだろうなあ。 と、言いながら面倒くさいことがこれ以上自分に起きませんように、とも願ってもいる私は、所詮そんなもんだ。

だけれど今起きていることはみんな、いつかくる今日への贈り物だと思うから、大切にしたい。

そういえばこのあいだみんなでご飯会をやった時、ひとりのともだちが家族に太鼓の練習に行くと言ってご飯会にやって来た、と打ち明けた。そのとき彼女が 「なんだか今日は嘘をつきたい気分だったの」 と言ったことが、あんまりにも素敵で忘れられない。

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03.

2019. 08. 21

日常という名の幾重にも折り重なった奇跡のもとに、それらは然もありなんと顕れる。
ふと、その存在に気づいた瞬間、長い冬を超えとつぜんに花が咲き乱れるあの春のように世界が色づき、この目は見開かれる。
もっと近くに、この手のひらにと近づいた瞬間、花々は枯れ落ち、見慣れた世界へと引き戻され、残り香だけがあれは本当のことだったのだと教えてくれる。
その香りを小さな瓶にあつめ、花々の咲き誇る度にあつめ。
日々の営みの瞬きのはざま、首筋にそれを纏わせる。
そうしてだれかの目の前に、生きる。
かぐわしい世界に、死にゆくために。

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02.

2019. 08. 07

01.

2019. 07. 25

2009年7月25日。
この日、生まれてはじめてライブをした。
私は屋久島にいた。
滝の落ちてすぐに海へとつながる場所。
皆既日食を見に人々が集まり、まるでひとつの村のようなものができていた。
その日はお祝いだった。
大きな焚き火を70人くらいで囲んで、おなじご飯を食べて。
みんながそれぞれに音楽を奏でて、歌って、踊って、うっとりして。
順番が巡ってきて、わたしはみっつの唄を歌った。
覚えたてのウクレレで、覚えたての唄を。
ライブというより発表会のようなものだった。
さいごのひとつを歌った時、そこにいたみんなが様々な楽器で一緒に奏でてくれた。
きっとその時、私の心は溢れてしまったのだと思う。
「もっと歌いたい!」
その想いだけでハタチの私は駆け出した。

2019年7月25日。
今日はどうしても海で過ごしたかった。
今年はじめての海はまだ少し冷たく、私はあたたかい海流を探して泳いだ。
波に浮かんで見る空は、もう真夏の顔をしている。
耳には砂が、はずかしげにしゃらしゃらと鳴った。
ひとしきりあそび、太陽が海に沈む頃、あの時のあの歌を歌った。
近くにひとりのサーファーがいて、聞こえてしまうかな、と少し恥ずかしかったけれど、心を込めて歌った。
波が、空が、色が、まるで耳を傾けてくれているような気がして、私は嬉しくなった。
ふと気づくと、この喜びが続く限りずっと歌っていたいという気持ちが、いつからかこちらを覗いていた。
私はそおっと手を差し出し、その気持ちとちいさく握手をした。

この10年間、応援し支え続けてくれた、家族・仲間たち・ファンのみなさまには、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。
やめるときまで、歌っていたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

10年前の私へ。
ひらめきにしたがってくれて、ありがとう。

この道はまだ、続きそう。

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