phoka

07.

2020. 03 29.

夜、夜よ。
行かないで。
夜。
もう少しだけここにいて。
静かなる夜よ。
あとほんの一時、世界から私をかくまって。
親愛なる夜よ。
どうか……

06.

2020. 01. 09.

霰の命
手のひらの無常
移ろいゆくのは
この世の常

儚さを守りすぎると、ときに吐き気がする。

05.

2019. 12. 13.

あんまりにも空が冬を忘れさせて気持ちが良いものだから、私はみかんの山のどんつきから麓まで駆け下りた。
下り道だから、足袋をはいた私の足は、ころころと勝手にまわった。
鼻先が切り裂いた風は、頰を伝い耳にざわめき、片側に結んだ三つ編みは、馬のしっぽのように跳ねた。
後から軽トラックでくる友人に追いつかれないように、もっとはやく、もっと、もっと!
ぐねぐねのみかん道をどんどん駆け下りて、あっというまに山の入り口についた。
勝負あり!私の勝ち!
ひざに両手をついてはあはあと息を乱しながら見上げたみかん山は、青空にとても可愛らしかった。
しばらくしてやっと追いついたと思った友人は、私がまさか走って降りてったとは知らず、いないいないと探してくれていたらしい。
ごめんね、と言いながら助手席に乗り込んで、お昼ご飯を食べに一緒に家に戻った。
今日はそれがとても楽しかった。

04.

2019. 10. 26.

”嘘ついて本当のこと歌うのさ”

これは私が書いたエスペルという歌の詩の一部。
この言葉が出てきた時、自分自身何を言っているんだろうと思っていたけれど、あとからじわじわとわかってきた気がする。
そういうことは、生きているとたくさん起こる。当たり前だと思って受けていた施しは何年も経ってそれは当たり前じゃなかったんだと気がついたり、失敗や挫折をしたことで過去に受けた忠告に「そういうことだったのかあ」とやっと理解ができたり。
昔父親があるアイドルグループを見て「全員同じにしか見えない」と言ったことに対して「信じられない」と思っていたのに、今やすっかり同じ現象が私にも起きていたりもする。

30代に入ってから、こういう風に感じることがすごく増えた。
ついこのあいだまで20代だったくせになんとも偉そうだけれど、20代の自分を俯瞰して見られるようにもなった。しかも、それは、まるで他の誰かを見ているかのように。
それはどういうことかというと、悩みもがき苦しんでだりしていた20代の自分に「そうだね、がんばったね」と声をかけれるようになったのだ。
あんなにもいやでいやで仕方がなかった過去の自分が、理解できたうえに優しくなれるなんて。まあ、思い出して恥ずかしくなることも反省することも山のようにあるのだけど。年を重ねるっておもしろいなあ。と、生まれて初めてそう思えた。

できるなら優しい人で在りたい。すべての人には難しいけど、せめて近くにいてくれる人たちにはそうでありたい。そのために、もっといろんな経験をしたり、いろんな気持ちになったりしてみたい。つらいことや悲しいことも、いつか誰かの心に寄り添えるようになれるためなのなら、経験しがいがある。そしてその誰かと一緒に微笑んで暮らせたら、幸せだろうなあ。 と、言いながら面倒くさいことがこれ以上自分に起きませんように、とも願ってもいる私は、所詮そんなもんだ。

だけれど今起きていることはみんな、いつかくる今日への贈り物だと思うから、大切にしたい。

そういえばこのあいだみんなでご飯会をやった時、ひとりのともだちが家族に太鼓の練習に行くと言ってご飯会にやって来た、と打ち明けた。そのとき彼女が 「なんだか今日は嘘をつきたい気分だったの」 と言ったことが、あんまりにも素敵で忘れられない。

03.

2019. 08. 21

日常という名の幾重にも折り重なった奇跡のもとに、それらは然もありなんと顕れる。
ふと、その存在に気づいた瞬間、長い冬を超えとつぜんに花が咲き乱れるあの春のように世界が色づき、この目は見開かれる。
もっと近くに、この手のひらにと近づいた瞬間、花々は枯れ落ち、見慣れた世界へと引き戻され、残り香だけがあれは本当のことだったのだと教えてくれる。
その香りを小さな瓶にあつめ、花々の咲き誇る度にあつめ。
日々の営みの瞬きのはざま、首筋にそれを纏わせる。
そうしてだれかの目の前に、生きる。
かぐわしい世界に、死にゆくために。

02.

2019. 08. 07

01.

2019. 07. 25

2009年7月25日。
この日、生まれてはじめてライブをした。
私は屋久島にいた。
滝の落ちてすぐに海へとつながる場所。
皆既日食を見に人々が集まり、まるでひとつの村のようなものができていた。
その日はお祝いだった。
大きな焚き火を70人くらいで囲んで、おなじご飯を食べて。
みんながそれぞれに音楽を奏でて、歌って、踊って、うっとりして。
順番が巡ってきて、わたしはみっつの唄を歌った。
覚えたてのウクレレで、覚えたての唄を。
ライブというより発表会のようなものだった。
さいごのひとつを歌った時、そこにいたみんなが様々な楽器で一緒に奏でてくれた。
きっとその時、私の心は溢れてしまったのだと思う。
「もっと歌いたい!」
その想いだけでハタチの私は駆け出した。

2019年7月25日。
今日はどうしても海で過ごしたかった。
今年はじめての海はまだ少し冷たく、私はあたたかい海流を探して泳いだ。
波に浮かんで見る空は、もう真夏の顔をしている。
耳には砂が、はずかしげにしゃらしゃらと鳴った。
ひとしきりあそび、太陽が海に沈む頃、あの時のあの歌を歌った。
近くにひとりのサーファーがいて、聞こえてしまうかな、と少し恥ずかしかったけれど、心を込めて歌った。
波が、空が、色が、まるで耳を傾けてくれているような気がして、私は嬉しくなった。
ふと気づくと、この喜びが続く限りずっと歌っていたいという気持ちが、いつからかこちらを覗いていた。
私はそおっと手を差し出し、その気持ちとちいさく握手をした。

この10年間、応援し支え続けてくれた、家族・仲間たち・ファンのみなさまには、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。
やめるときまで、歌っていたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

10年前の私へ。
ひらめきにしたがってくれて、ありがとう。

この道はまだ、続きそう。

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